渇きと断章

「ふたしかな私」をとらえて詩のような文にしたい

人生のテーマが変わるとき

思春期以来、私の人生のテーマはもっぱら「自己の探求」でした。
どこかふたしかでままならない、空っぽにしか思えなかった自分。とくに発達障害であまり他人に興味のなかった私は、ただ自己の内面だけをみつめていました。

それが変わってきたのは最近のことです。ふと自分の内面に「人に喜んでもらえると嬉しい」自分を発見したからでした。実のところ、そのような思いはもともと私自身のなかにありました。しかし同時に社会のなかで培われた“人が怖い”という感情に押され、心の隅っこに息をひそめていたようです。

元来私は宇宙人のような目線で人とこの社会を眺めていました。他人にとっては当たり前のことを小さなころから不思議がっていたのです。たとえば、満員電車で通勤するサラリーマンの映像を見て「どうしてこんなに大変な思いをしなければならないのだろう」と困惑し、家族に「それはお金を得て生活していくためだから仕方ないのよ」と言われてもどこか納得できませんでした。映像のなかで見た人びともみなその現実に耐え忍んでいるように私の目には映りました。
「どうして?あなたがたはつらい思いをしているのに」
「あなたがたは真っ先に癒され、いつも大事にされるべきなのに」
前述のとおりあまり他人に興味のない私でしたが、次のような思いをおぼろげに抱きました。
「私は毎日満員電車に乗って通勤できるような人間にはなれない。その代わり、私はそういう人たちを癒せるようになりたい」

そのためにはまず私自身がじゅうぶんに癒される必要があることを感じています。自分だけが幸せになるためではありません。実際に癒しの手段や方法を自分が体験して(自らが実験体となって)、そのなかで「いいな」と感じたものを将来ほかの人に行ったり紹介したりすることができたらと思うからです。
そのような理由で、現在私はあんま・マッサージ・指圧やアロマテラピーによるトリートメントについて学びたいと考えています。そのほか自己を癒すヒーリングや魔術、占い、パワーストーン等についても知っていきたいです。

「人に喜んでもらえると嬉しい」、その思いでどこまでやっていけるかは現時点では分かりませんが、いまはこれが私の人生のテーマになりつつあります。