渇きと断章

「ふたしかな私」をとらえて詩のような文にしたい

無であること

「無」というものに 惹かれているたとえば無目的であること何をしたら良いか分からなくなったとき、目を閉じて自己の海のなかを目的もなくゆらめいているそこではただの“何もないじぶん”勝ち負けの世界やすべてを征服しようとする自意識から、ひとり、ゆるゆ…

どこまでが自分の力なのか

どこまでが自分の力なのか、最近はその境界が薄まりつつある。たとえば何らかの自分の行いが「上手いね」「上手くいったね」と人から褒められたとき、単に私は己の力を発揮できたのではなく、それと同時に、相手から上手く力を引き出してもらったのだと思う…

人生のテーマが変わるとき

思春期以来、私の人生のテーマはもっぱら「自己の探求」でした。どこかふたしかでままならない、空っぽにしか思えなかった自分。とくに発達障害であまり他人に興味のなかった私は、ただ自己の内面だけをみつめていました。 それが変わってきたのは最近のこと…

人を感化するちから

自分の道は自分で切り開き、つらい出来事に遭っても私ひとりで何とかしなくてはならないと思っていた。要するに、人生は自分ひとりで生きてゆくものであると。たしかに個人の力が必要とされる状況はあるし、つらい出来事を消化するのは結局のところ自分自身…

突然スピリチュアルに目覚めた話

スピリチュアルな話で申し訳ないのですが、先日マジカルオイルの香りを楽しみながらノートに物を書く準備をしていたとき、「たぶん自分とは違う存在の何か」に繋がった感覚がありました。そのマジカルオイルはある白魔術師さんが作られたもので、チャネリン…

断章「たぶん、迷いながら生きていくのが正しい……」

イデアについての記憶をおぼろげながら取り戻すことを想起すると言うが、私は思い出すと同時に何者かから「教えられている」と感じる。そして教えてもらったことを文章などのかたちに具現化して、感謝とともに供物として捧げる。 いじめでおそろしいのは、初…

政治の話をする人びとを避けている

今回ここに書くのはきわめて個人的なことだ。本来あってはならないことなのだろうが、私は意識的にも無意識的にも政治の話をすることを避けている。というよりも「政治の話をする人を」と言った方がいいのかもしれない。それは、彼らの多くがあまりにも強い…

物を書く衝動は燃える

前に書いたように、私には是が非でも書きたいという気持ちがあんまりない。ところが、いついかなるときでも私に「書け!」と命じるものが胸のうちにある。それは私の身体のなかで怪物のように火炎を吐く、物を書く衝動だ。すらすらと書けるときはもちろん、…

近況と短文についてのあれこれ

文章のまとまらない日々が続いています。ノートに文章を書いてはいるのに、これといったものがあらわれない。あらわれても一、二行の短文で後が続かない。でも短文でいいなと思うのは、ひとことひとことの表現を突き詰められることです。長い文だと私は書き…

「私は求めていない 創作を 文章をつづることを……」

私は求めていない 創作を 文章をつづることを書きたい、という純粋な気持ちがみつからない文章は“書きたい”ではなく“書かざるを得ない”もの激しいインスピレーションの点滅に目が眩んだときそれ以外の道を絶たれてしまうこと

詩「郷愁」

何が正しいかは分からないままだったが「何かが違う」という感覚をたよりにやってきた いいえ、いつも何かが≪違っていた(・・・・・)≫のひと針の違和感の痛みに飛び出して生涯をかけ 霧のたちこめる海岸に沿って旅をつづける潮騒が大きく口を開けて波を飲…

何もしないことで私はもっと私になる

何もしないことで私はもっと私になる #断章— nemuri (@_nemuri) 2015, 6月 24 私はミニマリストにはなれないと思う。それは、むだなことをする時間を手ばなしたくないからだ。有意義なことだけに時間を費やせれば理想的なんだけれど、それのみではどこまでも…

満たされない内面の渇き

この渇きを具体的に何と呼ぶのかは知らない。イメージとして思い浮かぶのは、私たちがよく写真や映像で目にするありふれた砂漠の姿だ。ただし、それは私のすべての行動の源になる“枯れた泉”でもある。 暑い日が続き、リンゴジュースを飲もうと冷蔵庫をひらい…

ことばなんて

ことばなんてなければよかった。人がそれを発した瞬間にまちがいが生まれてしまう。ああ、まさにこのように書かれた瞬間から。ことばは暗闇を走るひとすじのいかずちのようなものだ。ところが正しさは大気の中に入り混じり、幾度いかずちを浴びせても全体を…

詩「ふたしかな自己」

自身は木もれ日のようにゆらぐもの確かにかたち作られた身体と同じようなものだとばかり思っていたけれど――私は身体ではないおだやかな昼の日差しに ようやく目を覚ましたなにかそれは木立のあいだにあらわれたり伸びる影のなかに ふっと消えていったりする

文章を発表できる時期、できない時期

人間には波があるのと同じように、文章を発表できる時期とできない時期がある。私は過去に絵を描いていて、いまはこんな文章を書いているのだが、どちらにしてもずうっと人に見せられないときが続いていた。まず創作したい、人に見てもらいたいという意欲は…

形式への先入観と、形式のない文章

形式という文章のよりどころが欲しかった。“よりどころ”という表現が適切でなければ“器”と言い替えてもいい。詩や小説、評論、エッセイ、ルポルタージュ、断章。さまざまな種類の形式のどれかひとつに落ち着きたかった。いまいち私の文章はどのカテゴリーに…

創作せよ、と呼ぶ声が聞こえ

天が下しる梅雨のころ、水垢のように生活も鬱屈してくると(およそ時期関係ないのだが)、「創作せよ」と私に語りかける声がする。創作はいつも「作れ」と一方的に命令してくる。こちらの意思や都合なんてお構いなしだ。 そもそも私は創作することが特別好き…

詩「傍感する」

風が流れるあいだ目を閉じていると どうしてこの世のひとひらはやすらかに私を通り抜けてゆくのだろう。この身はさざめきとともにうつろになり全てはやさしくゆられて目を覚ます。 いつも責められていると感じたのは近所の子どもたちの遊ぶ声まぶた 閉じられ…

発達障害者の表現手段

発達障害でない人たちは話し言葉や表情、身振り手振りでのコミュニケーション手段をおそらく自然に獲得する。だが発達障害者にとってそれは難しいため、最も自分を表現するのに適した手段は何かを模索する。言うなれば自分の手足を再獲得するのだ。例えば書…

死に憧れるなまけもの

どうやら私は周りの人よりも死に対していくぶん楽観的らしい。もといたところ(無)に還るだけだと情緒面で安心しているからかもしれない(もし「死後の世界」があったらがっかりする)。死が怖いと人は言う。私には生きていることの方が怖い。 なぜ死に対し…