渇きと断章

「ふたしかな私」をとらえて詩のような文にしたい

創作せよ、と呼ぶ声が聞こえ

天が下しる梅雨のころ、水垢のように生活も鬱屈してくると(およそ時期関係ないのだが)、「創作せよ」と私に語りかける声がする。創作はいつも「作れ」と一方的に命令してくる。こちらの意思や都合なんてお構いなしだ。

そもそも私は創作することが特別好きな訳ではない。作らなくても欲求不満になるし、作っていても持ち前の完全主義が災いして欲求不満になる。出来たとしても思い描いていたものからは程遠い。なのに、どうして私に語りかけてくるんだ。もっと適性のある人間に声をかけろよ。でもアイデアを渡されて「作れ」と言われると、何もせずにいるのにどこか居心地が悪くなって、結局はその声にしぶしぶ従うことになる。

とりあえず取りかかってみるが上手くいかない。いらいらした挙句のめり込んでいって何度も試行錯誤する。生活の鬱屈はいつの間にか考えなくなっている。というより、手や頭を使うことに必死で他のことを考える余裕がない。そうこうしているうち、何とか形にすることができた。あらためて出来映えを見てみると……うーん、自分では分からん……だから創作ってモンは嫌なんだ!とにかく、さっきまで耳に響いていた声は聞こえなくなった。やっと創作の声に煩わされないおだやかな日々になる。たとえそれがほんのわずかの間だとしても。