渇きと断章

「ふたしかな私」をとらえて詩のような文にしたい

政治の話をする人びとを避けている

今回ここに書くのはきわめて個人的なことだ。本来あってはならないことなのだろうが、私は意識的にも無意識的にも政治の話をすることを避けている。というよりも「政治の話をする人を」と言った方がいいのかもしれない。それは、彼らの多くがあまりにも強い言葉を使うからだ。おそろしく、また容赦のない言葉を。

気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
(高村光太郎『智恵子抄』「うた六首」より)

けっして、政治の話をする人は悪人などではない。日ごろ温厚でまじめな、やさしい人びとだ。ところが政治の話になると「気違い」「非国民」「~(人名)を潰せ」「売国奴」と日常では考えられないおそろしい言葉で立場の違う相手を罵る。そしてまた、正しいことを言っていると信じて疑わない。親子でも兄弟でも夫婦でも、あるいは普段どんなに仲良くしている相手でも、信条が違えばおそろしい言葉を吐きかけあう。 

私は人だかりから離れた場所で一人ぽつねんと立ち尽くしている。人と人との融和を夢見て、しかし現実では人びとが罵り合う姿を見ているしかないのだから。

私は、ついにこの文章を書かざるを得なくなったことがかなしい。