渇きと断章

「ふたしかな私」をとらえて詩のような文にしたい

断章「たぶん、迷いながら生きていくのが正しい……」

イデアについての記憶をおぼろげながら取り戻すことを想起すると言うが、私は思い出すと同時に何者かから「教えられている」と感じる。そして教えてもらったことを文章などのかたちに具現化して、感謝とともに供物として捧げる。


いじめでおそろしいのは、初めはそうでなかったいじめられっ子がだんだんと表情や雰囲気、そして内面や考え方までもが「よりいじめられっ子らしい」もののように変わっていくことだ。


誰かの文章を書く力に嫉妬すると、その文章まで見るのがいやになってしまうことがある。でも、本当はその文章を(複雑にも)愛しているのだ、愛しているゆえに嫉妬しているのだとみとめたい。


執着から愛と憎しみが生まれるという。そうなると私(とその生)に対してもっとも執着を抱いているのは自分自身なのだから、もっとも憎しみを抱いているのも私ということになる。他人は私にこれほど執着しないし、できない。


たぶん、迷いながら生きていくのが正しい。自分に疑いを持たなくなってしまったら、そこから堕ちていく。

政治の話をする人びとを避けている

今回ここに書くのはきわめて個人的なことだ。本来あってはならないことなのだろうが、私は意識的にも無意識的にも政治の話をすることを避けている。というよりも「政治の話をする人を」と言った方がいいのかもしれない。それは、彼らの多くがあまりにも強い言葉を使うからだ。おそろしく、また容赦のない言葉を。

気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
(高村光太郎『智恵子抄』「うた六首」より)

けっして、政治の話をする人は悪人などではない。日ごろ温厚でまじめな、やさしい人びとだ。ところが政治の話になると「気違い」「非国民」「~(人名)を潰せ」「売国奴」と日常では考えられないおそろしい言葉で立場の違う相手を罵る。そしてまた、正しいことを言っていると信じて疑わない。親子でも兄弟でも夫婦でも、あるいは普段どんなに仲良くしている相手でも、信条が違えばおそろしい言葉を吐きかけあう。 

私は人だかりから離れた場所で一人ぽつねんと立ち尽くしている。人と人との融和を夢見て、しかし現実では人びとが罵り合う姿を見ているしかないのだから。

私は、ついにこの文章を書かざるを得なくなったことがかなしい。

物を書く衝動は燃える

前に書いたように、私には是が非でも書きたいという気持ちがあんまりない。
ところが、いついかなるときでも私に「書け!」と命じるものが胸のうちにある。それは私の身体のなかで怪物のように火炎を吐く、物を書く衝動だ。すらすらと書けるときはもちろん、一文字も書けない時には尚いっそう燃え上がらんと欲し、その炎に灼き尽くされそうになる。
それは、「私を証明するために!」と自分に迫ってくる。『私を証明する』とはどういうことだろう。

私はふだん、大変うだつの上がらない人生を送っている。しかも、学習的無力感が身にしみているとでも言うのか、そのことをしょうがないと受け入れかけてもいる。この「受け入れかけている」というのが問題だ。そうでない自分もいる。それは私が自分自身の力を発揮し未来を自ら切り開いてゆくことを望んでいる。ゆえに、この生きることのおぼつかない私に対して決して許すことのできない怒りにふるえている。「物を書く衝動」とは、このもうひとりの怒れる私のことなのだ。いつもぐうたら生活しかしていない私に怒り、書けるときにも書けないときにも自分自身が本来持っている“はず”の力を証明しろと迫る。本当にそんな力があるかも分からないのに。

怒れる私ははるかな夢を見ている。いつかきっと書くことで誰かに認められるのだと。

近況と短文についてのあれこれ

文章のまとまらない日々が続いています。ノートに文章を書いてはいるのに、これといったものがあらわれない。あらわれても一、二行の短文で後が続かない。でも短文でいいなと思うのは、ひとことひとことの表現を突き詰められることです。長い文だと私は書き進めることにせいいっぱいになってしまう。しかし、読む側にとって短文はどうなんだろう、という気持ちもあります。過去にブログをやっていた経験では、短文はあまり読まれませんでした。それは、読み応えのある短文を書くことが実にむずかしいという証なのかもしれません。

あとは学校の勉強に追われています。はじめての単位認定試験の日程も迫ってきて、今から緊張しっぱなし。早く第十五章の勉強を終えなくては!ひさしぶりに学生に戻って、ひさしぶりに学生の悩みを体験しています。今はしばし休憩と現実逃避にこの文章を書いています。

「私は求めていない 創作を 文章をつづることを……」

私は求めていない 創作を 文章をつづることを
書きたい、という純粋な気持ちがみつからない
文章は“書きたい”ではなく“書かざるを得ない”もの
激しいインスピレーションの点滅に目が眩んだとき
それ以外の道を絶たれてしまうこと